兵庫県養父市八鹿町八木

2021年11月13日


日本のお城に戻る
日本のお城』 日本史を知らずして山城跡を巡っても、低山ハイキングをしているだけとなる。
八木城跡・土城跡養父市観光協会のHPから抜粋)
  平成9年(1997)に国指定文化財となった八木城跡は、中世の但馬地方を代表する武将・八木氏
一族の鎌倉時代から戦国・豊臣時代までの約400年間にわたる城や館の遺跡群です。 ふもとには
鎌倉時代の屋敷跡とされる殿屋敷遺跡、そして南北朝時代の土城(どじょう)の構造を伝える八木土城(やぎどじょう)、さらに豊臣時代に築かれた高い石垣を持つ八木城跡などで構成されています。 特に八木城跡は、標高325mの山頂に本丸を築き、約300mにわたって城砦を築き、延べ約100mの範囲で石垣をめぐらせた大きな山城の遺構です。
八木城跡・土城跡
  城跡巡りとしては何の感動もなかったが、ハイキングとしてみると ”八木城跡”
までは整備された登山道が続き、たまたま出合えた紅葉もあり、良い山歩きとなった。
城跡マニアでない限り ”土城跡”まで行くのは不要に思えた。
今日の城跡巡り、滝巡り
  八木城跡→玄武岩の滝富久貴の滝観練瀑
八木城跡・土城跡
  山城跡巡りを始めると、沢山あってキリが無い様なので、有名どころの山城跡のみ選んで暇潰しに歩いて見ることにした。 有名な山城跡は登山道も良く整備されており、同時にハイキングを楽しめるので得策である。
やぎじょうせき・どじょうせき
Road Map :国道9号線沿いの八木地区に駐車場と登山口がある。
Route Map:登山口には駐車場は無く、少し離れた八木城交流館の無料駐車場に車を停める。

国指定文化財
八木城交流館の前にある駐車場には指定駐車場としての表示はないが、無料で使って良い様である。
駐車場から国道9号線を横断して、登山口に向かう。
土曜日であるが駐車場はガラ空きであった。
9時38分に歩き始めるが、気温は6℃でしばらくは寒かった。
国道沿いに立っていた八木城跡周辺の簡易地図。
クリックで読めるサイズまで拡大します。
民家の路地に入り、登山口まで3分程歩く。
この案内板が無ければ登山口を探すのにウロウロしてしまうだろう。
突き当りが獣避けゲートのある登山口となる。
八木城跡へあと900mの表示あり。
自分には興味の無い話なで、小さく掲示しておきます。
しばらくは急斜面にジグを切った登山道で始まる。
尾根筋に入ると斜度は緩くなってきた。 樹林が濃く展望は得られていない。
はっきりと尾根筋を歩いていると判る様になって来た。
案内板は樹林に対してで、城跡のことは書いていなかった。
”八木城跡へあと650m”の地点。 登山道は丸太の階段でよく整備されていた。
低いながら石垣が出て来た。 これも城跡の一郭なのか?
簡易地図にも載っていた ”東屋”に着く。
解説板には周囲に生えている 孟宗竹”に関してであった。
ここへは別ルートの登山道がある様だが確認はしていない。
”孟宗竹”の茂ったヤセ尾根の道が続く。
”東屋”までは登山口から400mの距離となっていた。
ここで半分近い距離を歩いたことになる。
曲輪跡だろうか? ちょっとした広場になっている個所に着く。
ここへにも違う登山道が合流している様だ。
簡易地図では ”秋葉さん”と書かれた小さな ”不動明王”が祀られていた。
岩に小さなが掘られて ”不動明”が鎮座していた。
”八木城跡”までは、あと少しの距離であるが、
曲輪跡巡りを始めたので時間が掛かってしまった。
養父市周辺だけでも、これだけの山城跡があるんだ。
今後、知名度の低り山城跡巡りは止めることにする。
興味ある方はクリックで読める
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遊歩道から離れて ”曲輪”歩きをしてみる。 どの ”曲輪”にも
解説板が無かったので ”曲輪”の名称が判らない。
唯一、この ”曲輪跡”から平地への展望が得られた。
上の ”曲輪”から、下側の ”曲輪”を見る。
ここでも登山道を離れて左手の ”曲輪”の上って見る。
”紅葉狩り”に来た訳ではないが、見事な紅葉を見ることが出来た。
”三の丸跡”から下側の ”曲輪”を見る。
”三の丸跡”の南端に鎮座していた2体の石仏。
朽ちた ”三の丸跡”の標識が転がっていたので、ここが ”三の丸跡”だと判った。
”三の丸跡”にも見事な紅葉が見られた。
”三の丸跡”の下側半分を見ると、一番端に先程の2つの石仏が確認出来た。
登山道で先に進む。
”本丸跡”は樹木で隠れてしまったが、”本丸跡”の周囲は獣避けネットで囲われていた。
ゲートには下の簡易地図が張られていた。
簡易地図には ”土城への登山道はありません。”とはっきり書かれていた。
獣避けゲートを抜けて見た ”本丸跡”の石垣。
石積みに関しては歴史なのか、技術不足だったのか、
手抜きだったのか、かなり雑であり、崩れて来ている。
広々とした ”本丸跡”の奥には小じんまりした ”天守台跡”が見えていた。
”本丸跡”の周囲には石積みがされており、その先は崖である。
後ろに見える山に ”土城跡”がある様だ。
3体の石仏の後ろには少し小高い ”天守台跡”見える。
”天守台跡”に実際に上って、びっくりする程に狭いエリアであった。
”本丸跡”を下りて、”土城跡”に向かう。
防衛上、人工的に作られたヤセ尾根なのか、自然のヤセ尾根かは
判らないが、右側は激しい崖になっていた。
”本丸跡”を囲む獣避けネットの反対側にもゲートがあった。
ヤセ尾根を過ぎると、フラットな急斜面となった。
登山道はないが踏み跡ははっきり付いており、倒木で塞がれるのは余分であった。
2ヶ所目の倒木は迂回して進む。
小さな ”曲輪跡”を何ヶ所か通ると、大きな ”曲輪跡”が見える様になって来た。
何の表示も無かったが、これが ”本丸跡”なのだろう。
多分 ”本丸跡”に上がると、小さな高台があった。 多分 ”天守台跡”の上って見ると、
ここより高い個所は無かったので、これが土城の ”天守台跡”に間違いないだろう。
”土城の天守台跡”までは寄り道を多くしたので1時間17分掛かっている。
写真を撮って直ぐに下山?する。
下山は寄り道せずに登山道だけを歩く。
フラットな急斜面を下る。
急峻なヤセ尾根を戻る。
”曲輪跡”には寄らずに登山道だけを使う。
”天守台跡”を右回りの道に入るが、道は少し悪かった。
”孟宗竹”の竹林が美し個所に戻ってくる。
”秋葉さん”が祀られている広場(曲輪跡)に戻って来る。
ここで息を切らして登って来た ”ばあちゃんズ”に出会う。
”土城跡”から49分にて、駐車地に戻る。
良い天気の中、楽チンなハイキング出来た。
唯一の展望地に戻って来る。